枯れ枝から学んだこと。 組版よもやま話(その6)

 植物の水やりを日課にしている「Window tribe」です。とはいえ別段園芸が好きなわけではなく、「一般社団法人 あゆみ」開設時にお祝いで頂いた「シェフレラ」の木や、ニシキプリント創業50周年式典で頂いた「胡蝶蘭」などのご厚意を枯らすわけにもいかず、おっかなびっくりと水やりをしています。
 子供に可愛いから犬を飼うようにねだられて、飼ってみたはいいけど暫くすると犬の散歩はお父さんの役目になっていた・・・みたいな心境でしょうか。

 よもやま話は前回ちょっと真面目に書いて知恵熱が出てきましたので、また横道に逸れて、この「シェフレラ」から、こじつけ話でもしてみます。

観葉植物「シェフレラ」

 シェフレラは和名でヤドリフカノキと言うそうでカポックとも言われたりしますが、名前を知らなくても見れば「あれね」と分かる代表的な観葉植物です。環境的にもズボラにしていても枯れない植物なのですが、さすがに4年も経つと大きくなってきて伸びたい放題です。その上、昨年11月頃に花らしきものが咲いてきました。

 その後も伸び放題ですので過去に何度か「散髪」をしましたが、昨年末に何を思ったのか先っぽの部分をばっさり切り、100円ショップで鉢と「観葉植物の土」を買ってきて無造作に差し込んで活力剤と水をやれば挿し木で根が出るんじゃあないかと勝手に思い込んで様子をみました。

 年初から3ケ月くらいの間は寒さを避けるために日が暮れると窓際から室内に移したりしている間は葉っぱの緑が保たれて、春には新しい芽が出るのではないかと、その生命力に感心していました。

私の「無知」が、「結果」に現れてくる。

 ところが春を迎え寒さも和らぎ窓際に出しっぱなしにした頃から様相が変わってきました。葉っぱの先から変色してきましたので酷いものは枝葉ごと切り落としていきました。

 私は綺麗な緑色だった頃には何も考えませんでしたが、シェフレラが衰えてくる毎にあれこれと考えを巡らせるようになりました。

根っこから葉っぱの先まで養分・水分を供給しないといけないすると根っこの能力に対して葉っぱの量が多すぎるのではそれを回避するには葉っぱを根っこの能力に見合うだけ間引くのかそれとも葉っぱの量に見合う根っこを育てる方策を練るのか。

 このように昨今の会社経営の問題のような事が自然界でも行われていたんだと今更ながらに考えさせられます。

 「リストラクチャリング」は再構築という意味だそうで本来は建設的なイメージなのですが、ここで前者の葉っぱを切るという行為は世間で使われている悪い意味のリストラという事になり、後者の根っこを育てるのが生き残りのベターな選択なのかなと考えます。

 そもそも伸びたので無造作に切った枝を100円ショップで買った鉢に何も考えず挿して水だけ与えていたのですから、私が無知だったといえます。
 根っこを育てるにはここからの園芸に対する学びが必要ですし、「鉢」という限られた環境から養分が吸収できる環境への移し換えも考えられます。

 このように要らぬ思索をして私が手をこまねいている間にも、日を追うごとに葉っぱがどんどん黄色く変色してきました。

 ここで2鉢のうち、1つは早めに枝葉を一つだけ残してあとは切り落とし、もう一方は温情で出来るだけ枝葉を残しておきました。その結果、枝葉を多く残したほうが早くカサカサに枯れてしまいました。きっぱり1枝だけの方は健気にも冴えない緑色ですが葉っぱにしなやかな潤いが残っています。

 ついでながら広島空港のブログで書いた「ジャックと豆の木」と思っていた芽は右の鉢で立派な雑草として育っていますが、これも何かのネタに残しています。

 今、朝鮮半島非核化で言われている「完全かつ検証可能で不可逆的非核化(CVID)」という「元には戻らない」という意味の言葉がありますが、ひとまず枯れずに残った鉢も、上を向いていた枝が垂れ下がってきて、当初は密着していた幹との間に隙間が空いて十分な水分を葉に送る事が出来ない悪い意味での「非可逆的な状況」となり以前の緑色を取り戻す力は無く、遅かれ早かれ枯れるのを待つばかりです。シェフレラの事でついには会社の事から世界情勢についてまで考えさせられるようになってしまいました。

 さて、園芸に長けた方から見ると植えたときから葉っぱの付け過ぎで、何をくだらない事をと思われるでしょうが、私が無知なゆえにこのように妄想にも似た様々なを感じる事が出来ました。

 我々を取り巻く環境もニュースで景気が上向いてきたとか言われても、さほどの幸福感に浸れないのですが、ハッピーな結果を得るために、最初の枝を植えた段階で、また遅くとも衰えて来てもまだ戻れる「可逆的な段階」でどれだけ積極的に関わってきたのかが問われている気がします。

 さて、シェフレラについては残念な結果となってしまいましたが、2本の枝の犠牲のお陰で私なりの実生活における多くの教訓を得る事ができました。さりとて、しらけ世代とか若者の無関心さが取りざたされて久しいですが、このような教訓を語ったところで伝わらないんだろうなと考えます。それは、かく言う私が若い頃に大先輩から「君たちと話していると宇宙人と話しているようだよ」と苦言を呈されて、内心「それはこっちから見るとそっちが宇宙人じゃ」とうそぶいていた自分が今、若い世代から宇宙人扱いされている因果応報を感じたりもします。

 人間とは同じ過ちを繰り返すものですが、枯れた枝を見て、時間が巻き戻せて大先輩の言葉に素直に耳を傾けていれば、より豊かな結果が得れれていたのではという思いを巡らせます。

 期待に応えてくれる「花」もある。

 そんなことで「シェフレラ」はここまでにして、そしてもう一方の「胡蝶蘭」のほうですが、東広島工場の2階で、これまた素人が考えもせずに水やりをしているうちに枝が伸びてきて、いつの間にか蕾みたいなのが出てきて、ついに一輪、二輪、三輪と少ないながらも花開くところまでこぎつけました。

 また、工場の事務所の方でも遅れて大輪の蘭が咲き、こちらはハッピーエンドということでお開きとさせていただきます。

と終わると思わせつつ、当社の東広島工場の入り口におむかえしている「大日如来」の足元にはスズランとアヤメが相次いで花開いていました。素人目にアヤメとハナショウブとカキツバタは見分けが付きにくいので心配になって一応調べたところ花弁の付け根が黄色い網目状という特徴でアヤメで正解のようでした。ともあれ幾人かで草取り以外何もしないのですが、ありがたい事に自然が「お花」を添えてくれます。

 ここでは植物のして欲しい事をしておくと「花」となって応えてくれる事を学びましたが、「組版」においてもお客様のご要望を遠慮なくズバリとお聞かせいただきますと、大きくご満足いただけるお手伝いを致します・・・と落とし所をつけまして今回も横道に逸れた「組版よもやま話」はお開きと致します。

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