カメラの歴史、序章。カメラ道楽部屋(2)

 カメラの事を書けといわれて始めた「カメラ道楽部屋」なのですが、そもそもカメラって何?という壁にいきなりぶちあたりましたので、お勉強をした様子を書き留めておきます。


カメラ・オブスクラ

 Wiki先生に聞いてみると、古くは10~11世紀に数学や天文学他多くの分野で足跡を残したアラブの科学者で「光学の父」といわれるイブン・アル=ハイサムという人の著した『光学の書』にある、ピンホール(小さな穴)を通した光により平面上に外の風景を投影する「カメラ・オブスクラ」という装置にたどりつくそうです。

 「カメラ」というのはラテン語で「小さな部屋」、オブスクラは「暗い」という意味だそうで「暗い小さな部屋」という事で「暗室」かいなと思ってしまいますが、今でいう「ピンホールカメラ」と原理は同じようです。小さな穴を通った光が像を結ぶ事は紀元前の古代中国や古代ギリシアでも知られていたそうですが、ハイサムは太陽の日食を観察するために使用したそうです。

 15~16世紀頃には実際に小屋ほどの大きさの部屋の壁に紙を貼って、反対側の壁に空けられたピンホールから壁に向かって映し出された画像をなぞって下絵を書くような使われ方もしていたようで、人間と紙がフィルムの代わりをしていたようなものでしょうか。その後19世初頭に光に反応して化学変化する物質を使いだした銀板写真から「写真機」へと進化していきます。

 遡りますが、16世紀頃にピンホールの代わりに「レンズ」を通すとよりはっきりとした画像が得られることも発見されたそうです。

 えっ、「レンズ」って何?ということになって、またWiki先生に聞いてみると、言葉にすると「光を屈折させて発散または集束させるための光学素子」なんだそうで、語源は当初の凸レンズの形が「レンズ豆」に似ていた所からついた名前だそうです。いやはや勉強って面白いです。

 ピンホールカメラといえば小学校の時に学研の学習雑誌に教材として付いてきて、現像液を家の鍋で煮てこっぴどく怒られたトラウマがあるのですが、最近のミラーレス一眼というジャンルのカメラではボディーキャップに小さな穴を開けると暗室や薬剤・印画紙を使う事無くピンホールカメラに出来るらしいので、今度時間をみつけて実験してみようと思います。

 ついでに、目の構造はカメラと同じように考えられますが、ハイサム以前の学説で、古代ローマのプトレマイオスという学者を調べていると、なんと目から光が出ていて、その反射を目が感じ取っていたような考えが支配していたらしいとか、この原稿を書くのに調べていくと今考えると驚きの事柄も知る事ができました。


フィルム式カメラ以降

 そんな歴史を緩やかに重ねながら進化してきた映像機器は、ほんの二十数年前はカメラと言えばフィルムカメラの事を指していました。

 基本的にレンズから取り入れた光を撮像体であるフィルム上に像を結ぶように光路が一直線に通るようにレイアウトされています。この必然がカメラを「カメラ然」としたスタイルに縛り付けていたようです。

 ところがフィルム装填の手間や現像するまで写りが分からないなどの呪縛から開放される可能性を秘めてデジタルカメラが1980年代終盤からちらほらと芽吹きだし、1994年にKODAK製のMac用デジタルカメラが発売されたそうです。

 新たな撮像体であるCCDがフィルムより大幅に小さくなった事もあり、デジカメ黎明期には各メーカーが「カメラ然」としたスタイルから解き放たれ従来に無い様々なデザインやレイアウトを持ち込んで、試行錯誤しながらも百花繚乱で急速に進化して行ったようです。

 あるものは屈折光学系といってミラーで光の向きを変えてコンパクトなカメラに仕上げたり、またあるものはレンズ部とモニター・制御部を別々に設え、それを回転軸で繋ぎレンズとモニターの角度を変える事ができるカメラを市場に持ち込みました。

 次回はこのレンズとモニターが一直線な形状から羽ばたいて、可動させる事ができる「スイバル式カメラ」「レンズ部回転式カメラ」「フリーアングルモニター式カメラ」について、最近始めたポンコツいじりで我が家に居付いたカメラ達に出演頂いて、メーカーごとに特徴を眺めてみます。

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