1967年創業
『ニシキプリント印刷』を広島市西白島町18-4に営業活動のみとして創業
広島市庚午中2丁目17-9に移転オフセット印刷機『ハマダスター500D(B4機)』を1台導入
和文タイプライター1台、タイプ謄写機1台、にて生産を開始
庚午時代の印刷フロア民家の改築なので天井が低い
1969年 大日本スクリーン製A3縦型カメラを導入
1970年 伊藤鉄工所製A判型断裁機を導入
1971年 ハマダスターA3型オフセット印刷機を導入
1973年 小森印刷機製菊半裁オフセット印刷機を導入
1974年 三菱シルバーマスター製版機を導入。ダイレクト製版化する
『株式会社ニシキプリント』へと法人化する。
1976年 リョービ印刷機製B4判2700型を導入
1978年 IBM製電子タイプライターを導入
新社屋完成(広島市西区商工センター7丁目5-33)
リョービA3判KNP機
リョービB4判全自動印刷機
大日本スクリーンA半裁カメラ、A半裁回転両面焼付機を導入
日本軽印刷工業会第23回軽印刷作品コンテストに於て
文字組版部門で労働大臣賞の栄に浴し、飼料部門の出品作品も金賞と、2点が受賞する
1983年 モリサワMK-20電植編集機を導入
1984年 MCT-11、モリサワMK-100、を導入
1985年 モリサワライノトロン202電植出力機を導入
印画紙出力の内製化を始める。
1986年 組版システムとして富士通製IPS2WSを導入
1988年 モリサワMK―300を導入
富士通製IPS 2WSを増設
1989年 モリサワROBO15XYⅡ手動写植機を導入
富士通製IPS―GX 4WSを導入
版の準備、インクの出る量、すべて手作業でした。インク量も目分量で少しずつ調整していた時代です。
カラーで印刷できる機械もほとんどない時代。単色(1色)機を数回に渡り回して、カラーにしていました。500部の両面カラーを、2日がかりで行っていました。当時は1色だけの色見本があったり、CMYK全部通した後でないと出来上がりが分からない怖さがありましたね。
技術の付け方も「見て覚える」が主流な時代。最終的に技術は自分で磨きました。
1993年 日本軽印刷工業会第36回作品コンテストに於て
ニュープリンティング株式会社賞を受賞する
1994年 日本グラフィック工業会(旧日軽印)作品コンテストに於て
日本軽印刷資材連合会会長賞を受賞する
併せて文字組版部門の最優秀賞として石井賞を受賞する
1997年 フィルムセッター[FTR3050]を導入。マックDTPを増強する
1998年 オンデマンドプリントシステム、ゼロックス[ドキュテック]
[ドキュカラー]を導入
両面の菊全が2台あった時代。印刷機を扱うオペレーターの人数も多く、本社・東広島工場あわせて8名くらいの人間で印刷機を回していました。
製版に時間を費やすことが多く(フィルムからの焼き付け等)、DTPの人は残業がとても多かった時代。フィルムや版とかの材料費がかかるから、今と比べて1個あたりの仕事の単価は、今と比べてたぶんかなり高かったと思う。(笑)
製本は、今ほど内製化できていなかった。社内ではできないことも多く外注をたくさん使っていた。
2001年 本社工場に菊四半四色オフセット印刷機
DIAMIC COMTOP CTPセッターを導入
2004年 本社工場に菊半裁高速オフセット(表2色/裏1色)印刷機を導入
2005年 モノクロ複合機 コニカミノルタ ビズハブ プロ1050
カラー複合機 MEP8050 を導入
2007年 A3ワイド版CTPプロッターを導入
2008年 DIAMIC FREDIA CTPプロッターを導入
2013年 PT-R8600 CTPセッター
B2判高速多色オフセット印刷機を導入
2016年 VDP-CF3070 CTPセッター 導入
2019年 Canon imagePROGRAF PRO-4000S
B0インクジェットプリンター導入