最近知った衝撃の事実

エスキです。

個人的なことですが、衝撃だったので書かせてもらいます。

最近、日露戦争の日本海海戦の時、日本の軍艦にアルゼンチンの軍人が乗船していたことを知りました。

「ア、アルゼンチン?」

私にとっては衝撃の事実でした。

日本海海戦といえば、日本艦隊がロシア艦隊を日本海全域で撃破して日本が大勝利した戦いとして有名です。数年前のNHKドラマ「坂の上の雲」のクライマックスにもなっています。

その日本海海戦の最中、アルゼンチンの軍人マヌエル・ドメック・ガルシア大佐は、観戦武官として「日進」という軍艦に乗っていました。観戦武官とは戦闘を見学しに来ている外国の軍人のことです。当時は戦争があると陸でも海でも観戦武官を送る慣例がありました。同盟国イギリスの観戦武官が数人乗船していたことは、司馬遼太郎『坂の上の雲』などでも説明されていましたが、まさか南米アルゼンチンの観戦武官が乗船していたとは・・・本当に驚きでした。

この時の日本艦隊は各国の観戦武官の乗船を断っていたため、結果としてイギリスとアルゼンチンの観戦武官のみが乗船したことになります。

ではなぜ、アルゼンチンの観戦武官が乗船を許されたのでしょうか?

当時アルゼンチン海軍は、イタリアで建造途中だった最新鋭装甲艦2隻の購入権を、日本海軍に譲渡しました。それはロシアとの戦争に備えて戦力を増強したい日本と、チリとの紛争が既に終結してしまって戦力を増強する必要がなくなったアルゼンチンの利害が一致した為でした。

その2隻の建造担当だったマヌエル・ドメック・ガルシア大佐は、完成した2隻を日本まで送り届け無事に引き渡しを終えましたが、その時すでに日露戦争が始まっており、そのまま観戦武官として乗船することになりました。最新鋭装甲艦だった2隻は「日進」「春日」となり即戦力として編入され、日本海海戦で活躍しました。参謀の秋山真之は後年、「「日進」「春日」は開戦直後に到着したのだが、この2隻がいなかったらと思うと私は今でも戦慄せざるを得ない」と発言しています。戦いの直前に最新装備の軍艦をイタリアから届けてくれたのですから、特別に観戦武官として乗船が許されたのも納得できます。

マヌエル・ドメック・ガルシアは帰国後、詳細な観戦「報告を作成しました。「報告を要約すると、「艦船・装備・弾薬・練度・士気など全ての点で日本が勝っていた。あらゆる面で努力していた日本が勝利するのは必然だった。しかし、あれほど見事な勝利となったのは将兵ともに人材が優秀だった」というものでした。

また「報告には、砲撃方法や戦略などの当時の日本海軍が編み出した独自の戦法が記録されていたので、長い間アルゼンチン海軍の軍事機密とされました。「報告は現在アルゼンチン海軍歴史博物館で展示されています。

1993年にアルゼンチン海軍歴史博物館を訪問した五味睦佳海将(元海上幕僚副長)が「報告の存在を確認した後、1994年にアルゼンチンから海上自衛隊へ「報告」のコピーが贈呈されました。その後1998年に「報告」の翻訳本が出版されましたが小部数でした。そして、日本海海戦から100年後の2005年、ようやく一般書として書店で販売されることになり、マヌエル・ドメック・ガルシアの報告が広く知られるようになりました。

私も一般書店でその本を購入し、衝撃を受けたというわけです。

ちなみに、マヌエル・ドメック・ガルシアは後にアルゼンチンの海軍大臣となり、退役後はアルゼンチン日本文化協会会長を務めたということです。

今回はアルゼンチンの軍人が日本の軍艦に乗っていたことに純粋に驚いたので、テンションがあがり書かせて頂きました。

以上で失礼します。

参考
『日本海海戦から100年-アルゼンチン海軍艦船武官の証言』
ガルシア・マヌエル・ドメック著 津島勝二訳 2005年 鷹書房弓プレス

コメント

  1. 酔っ払い より:

    ネット右翼ですので週刊新潮をいつも読んでます。9月3日号の150ページ、高山正之のエッセー、そこでドメク・ガルシアに触れられていましたので、一体何のことだ?とネットをくぐりました。年寄りなのでWikipediaなど、込み入った説明は分からないのでパスしてたらここにたどり着きました。分かりやすく、面白かったです。今後も、薀蓄を披露してください。 世羅郡に住んでます。

    • gula より:

      コメントありがとうございます。どこまでできるかわかりませんが、また面白いと思っていただける記事を書いていこうと思います。