私の入院の記録-ヘルニア手術編

シンです。早いもので桜の季節もとっくに過ぎ去りましたが、春だというのにまだ肌寒い日が多く、なかなか冬物の衣服がしまえない今日この頃、みなさんはいかがお過ごしでしょうか。
私はと言えば、毎年この時期に決まって入る大量のオンデマンド出力に明け暮れる毎日で忙しく過ごしています。

ふと思いおこせば、私が昨年の12月22日にリハビリ病院を退院してもうすぐ4ケ月が経とうとしています。前にも書いたように、あの2ケ月にわたる入院生活は今となってはまるで夢だった気がするのですが、それが夢でない証拠が私が入院中につけた日記です。日記といっても手書きではなくて、電子メモ帳『ポメラ』で入力したものです。これを読み返すと、忘れかけていたあの入院中の出来事の記憶が再びよみがえってきます。今回はヘルニア手術編と題して、まず外科手術直後の入院生活をご紹介しましょう。

1.手術当日

2014年10月22日。この日のことを私はこれから一生忘れることはないでしょう。
その日の朝、O整形外科からの紹介で家族の付き添いでJ総合病院へタクシーで行きました。とにかくもうその時は自力で歩くこともできず、タクシーに乗るのも一苦労でした。J総合病院の玄関先に到着すると、すぐに外来患者用の車椅子を借り、10時の予約で待合室で待っていました。その間、検査などを色々しましたが、MRI検査だけは、もう仰向けになる姿勢が痛みのためにとれないことから、やむなく前日にH病院でなんとか撮影できたもので代えることになりました。そして診察の結果、腰椎椎間板ヘルニアが下半身の神経を圧迫しており、このままでは下半身が一生麻痺してしまうという診断で、いやおうなくその日のうちに神経を圧迫しているヘルニアを外科的に除去する緊急手術が決定しました。

後で色々、他の人に話を聞いても、外来の診察のその日にすぐ手術というのはまずないような話だそうです。でも考えてみると、それは運が良かったと言えるのかも知れません。この後、入院生活を送る中で、予約待ちですぐに手術ができなかったために、手術後の回復が遅くなってしまったという人の話を耳にしました。手術を入れるスケジュールや人員の確保、病室の空きといった諸条件が揃わなければ、いくら症状が重篤だとしてもすぐに手術はできないわけで、たまたまその条件が揃って、すぐに手術を受けることができたことは不幸中の幸いと言えるでしょう。

その日の夕方6時から手術することになりました。手術の誓約書に署名した時から覚悟はできていて、ひょっとするとこれが自分が目にする最後の光景になるかも知れないという考えも、いささかおおげさですが頭の片隅に浮かばなくもありませんでしたが、意外に私の心は落ち着いていました。もうなるようにしかならないではないかという諦めの気持ちもあったのでしょう。

手術開始前に移動式のベッドに乗せられ手術室へ。手術着姿のたくさんのスタッフの姿と整然とした手術室の光景、まるで医療ドラマのような光景が目に入ってきます。麻酔をかけられた後のことは一切記憶にありません。当たり前と言えば当たり前ですが、自分で体験すると本当に不思議な気分です。手術はこの手の手術としては長めの3時間(通常は2時間ほどと聞きました。)ほどかかり、目が覚めた時にはもう病室にいました。

ああ、まだ生きているなとほっとして自分の周りを見ると、左手は点滴がつながれ、右手は患者の容態を知らせる機械のセンサーにつながれ、両足には血管の中に血の固まりができるのを防ぐためにポンプで圧縮空気が送られるパッドがつけられ、腰からは血溜まりを抜くためのドレーン(管)とガチガチに固定され全く身動きがとれない状態でした。この圧縮空気を送るポンプの音がやたらとうるさく、私も眠れませんでしたが、同室になった他の患者さんもさぞや迷惑したことでしょう。

入院中に何度か経験したことですが、入院患者は高額な特別料金を支払って個室にでも入らない限り、同室になる患者を病院側で決められ、選べない立場にあります。従って消灯時間を過ぎてもテレビをいつまでも見ている患者や、夜中にナースコールを頻繁に呼ぶ患者と同室になると、とばっちりでこっちまで寝不足になるという困ったことになります。

2.手術翌日以降の3日間の出来事

手術後の3日間は日記によると次のような出来事がありました。

翌日10月23日、昨日の朝食以来、丸一日ぶりに朝食にサラダとパンを食べました。手術のために体力が弱っているのと、両手両足が半ば拘束されている状態のため、自力では無理で看護士さんに手伝ってもらって何とか食事を終えました。

そのさらに翌日の10月24日には、腰のドレーンがようやく外れ、少しは動くのが楽になりました。同時に点滴も終わりとなりました。オーダーメイドで作った腰のコルセットが届いたので、第1回目のリハビリをしました。立つ姿勢をとるなどごく軽めのメニューでしたが、終わって部屋に帰ると38℃の熱が出て、寒気を覚えました。夜の10時半頃痛み止め兼熱冷ましを飲んだにもかかわらず、一晩中脚のももの外側が痛くて眠れませんでした。

10月25日の明け方、朝の3:00頃ようやく熱が下がった気がしました。この病院に入院して以来、お通じがなく今日だめなら薬を飲むしかないと思っていたのですが、ようやく便意を感じトイレに行ったので、久しぶりにすっきり爽快な気分になりました。

3.手術後の後遺症について

手術して2日目に点滴が外れて楽にはなったものの、その後は長らく就寝前の微発熱とももの外側の痛みに悩まされ続けました。どうやら点滴のおかげでそれまでは発熱や脚の痛みを感じずに済んでいたようです。最初のうちは痛みが起きるたびに痛み止め兼熱さましをもらって飲んでいましたが、何しろその痛みときたら、脚を麻酔なしで切られるような凄まじい痛みで、痛み止めが一時的に効いて眠っても、その効力が切れると、脚を切られる悪夢を見て目が覚めるほどでした。

そんな状態が毎晩のように続いたので、朝昼晩と決まって痛み止めの薬を飲むようにしたところ、相変わらず微熱は出るものの、就寝前の脚の痛みはあまり感じなくなりました。しかし、脚の両方のももの外側の違和感は消えることなくずっと続くので、安眠できるという状態からはまだほど遠い状態でした。

4.病院の食事等について

よく病院食はまずいとか、味気ないという話をそれまでに聞いていましたが、最近はそれほどひどくはないようです。この病院では朝8時に朝食、12時に昼食、夕方6時に夕食が出ることになっていました。この時間頃に、看護士さんが各病室に食事を届けてくれます。食事が終わると、食器類をコンテナのところまで車椅子で自分で返しに行くのが日課でした。実はしばらくすると各病室を回って食器類を回収してくれる看護士さんがいらっしゃるのですが、自分でできることは自分でしようということでそうしていました。

食事の内容は、朝は決まってパンと牛乳、サラダという感じで毎日かわり映えがしないものでしたが、昼は時には鰻重が出たこともあり、割といい物がでることも多かったです。夜は就寝前ということで低カロリーのものしか出ないのが通例だったと思います。

食事の他、毎日朝の7時、午後の3時に水筒にお茶を入れてくれるサービスがあり、なかなか自力でジュース等を買いに行けない身にはありがたかったです。

5.病院でのトイレについて

--このセクションはちょっと下ネタのお話になるので、特に食事中の方は読み飛ばしてくださって結構です。--

車椅子でしか移動できない身になって、まず一番の関心事はトイレに行くことでした。困ったことに病室にあるトイレは車椅子で出入りができないので、私の病室からほんの数歩のところにあるというのに利用できませんでした。もし仮に入り口まで壁伝いでたどりつけても、トイレの中と外では段差があり、ほとんど歩けない身ではトイレに入ったはいいが出て来れないという恐れもありました。

このため、車椅子で利用できるトイレに行くことになるのですが、これが何と私の入院している病室の真反対の位置にあるため、車椅子でかなりの距離をこいで行くことになります。おまけに車椅子用のトイレは1つしかないので、ふさがっていたら、待たなくてはいけません。そんな事情から、ちょっとでもトイレに行きたいと思ったらとにかく早目早目にトイレに行く習慣がつきました。はっきり言って、一日中、トイレに行くことが頭から離れない状態でした。

それでも昼間の内はまだ自由にトイレに行けるのでまだましで、夜は9時の消灯までになるべくトイレを済ませておいて、それ以降はなるべく行かないで済むようにしていました。就寝時間を過ぎてトイレに行くために音のする車椅子で病室の外に出るのが病室の他の患者さんに迷惑になるおそれがあるのと、夜になると決まって微熱が出る状態が続いたため、ベッドから起き出して車椅子で遠いトイレまで行くのは現実的に困難だったからです。

それでもどうしても行きたくなったらどうするかというと、俗に言う「尿瓶」を使うことになります。この尿瓶はベッドに引っ掛けられるケージにセットされているのですが、口のところにしっかりしたフタがなく、簡単なカバーをかけておくだけなので、用を足したあとは早めに看護士さんに回収してもらわないと、何かのはずみに中身がこぼれでもしたら大変なことになるので、気になって仕方がありませんでした。この病院にいる間中、この尿瓶のことが頭から離れないほどでした。

終わりに

ここまで、腰椎椎間板ヘルニアの手術と、手術後の数日間のお話でしたが、いかがでしたでしょうか。できればこういった経験をしなくて済めばそれに越したことはないのですが、人間年を取るうちに、いつかは入院しなければならない時が来るものです。私のお話が少しでもその時の準備にお役に立てれば幸いです。

さて、ここまでのお話はまだ入院生活の序の口、まだまだお話には続きがあります。残念ながら紙枚の都合で今回はここまで、続きはまたの機会にするとしましょう。拙い長文にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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