⚾カープ黄金期時代⚾

今回は、映画紹介はお休みさせていただきます。‟カープ黄金期“についてお話しさせていただきます。

カープ黄金期とは

1979年、私がまだ小学1年生でした。初めて日本一になり、広島の街が大盛り上がりし、パレードもありました。その翌年も見事に日本一になり2連覇しました。
2度目の日本シリーズ時は、授業をやめて、テレビの試合中継をクラスのみんなで見た覚えがあります。みんなで応援し、とても盛り上がったことを思い出します。私にとって一生忘れられない思い出になりました。その後、母親に連れられてそごうデパートのバーゲンにも行きました。おばさん達やおじさん達が大はしゃぎしていたことを思い出します。

1979年日本シリーズであの『江夏の21球』です。

4-3でリードのカープは9回裏無死満塁のピンチを江夏豊が無失点でしのいで初の日本一に輝きました。この9回に投じたのが全21球だったことから江夏の21球と呼ばれています。私はこの試合を見て、とても感動した思い出です。

また、高橋慶彦(今で言うと鈴木誠也選手)が33試合連続安打を放ち、日本シリーズでも大活躍していました。カープ女子のファンは8割高橋慶彦でした。私は、どちらかというと古葉監督が好きでした。忘れもしません。小学1年生の時カープが初めて日本一になったときに、安佐北区のサンリブ(スーパーマーケット)でカープ選手のサイン会が行われました。その時に古葉監督もきてて、サインをして頂きました。そのあと握手をしてくれたことを思い出します。笑顔が素敵な人でした。それ以来、古葉監督の大ファンになりました。その後、カープは黄金期が去り、低迷期に入り、成績不振で古葉監督はカープの監督を辞め、何年後に大洋ホエールズの監督になり、その時は、なんだか寂しいな気持ちになりました。その後、古葉監督は広島市長選にも出馬したのですが、後援会の方が不祥事を起こし、選挙戦には出馬できなくなり、広島市長になることはできませんでした。そんなことを思い出しながら、今回このブログを書きました。今年は必ず33年ぶりの日本一なってほしいと願っております。
また、あの黄金期時代の復活を願っています。

 

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