私の入院の記録-転院編

 シンです。大型連休も終わり、時として日中は夏を思わせる暑さの日もある今日この頃、季節は早くも春から夏へと向かっているようです。みなさんはいかがお過ごしでしょうか。

大型連休中、例年は人混みが嫌で私はどこにも出かけないのですが、今年は会社のフラワーフェスティバル出展の手伝いのため、5月4日に広島平和公園に出かけました。連休中に広島市内に出るのは本当に久しぶりでした。前日3日はあいにくの雨でしたが、4日は午前中は曇り、午後からは晴れてきました。手伝いと言いながら大した働きもできませんでしたが、個人的には非常に貴重な経験をさせていただきました。

さて、今回のブログは私の入院の記録第2弾として「転院編」と題してお送りします。外科手術後、リハビリのため、H病院からA病院へと転院する前後のお話です。しばらくお付き合いください。

0.もしこんなことが現実に可能ならリハビリは不要なのですが…

かなり前に流行った洋画で「キル・ビル」という作品がありましたが、確かその第2作目の冒頭の辺にこんなシーンがありました(以下うろ覚えなので間違いがあるかもしれません)。病院で1年以上意識が戻らず寝たきりになっていた主人公が、ようやく意識を取り戻し、病室を抜け出し、病院の駐車場にたどり着いて(そこまでどうやって行ったのか残念ながら忘れました)、ある車の中で1時間位滅茶苦茶に暴れ回って自分でストレッチやリハビリをし、寝たきりで衰えていた筋力を取り戻し、その車で病院を出て行くという内容でした。

しかし、これはあくまで映画のフィクションであり、現実にはこんなことは決してできないでしょう。いかに主人公が拳法の達人で、筋力が人並はずれていたとしても、人間寝たきりでいれば筋力はあっという間に衰えます。1年以上寝たきりだとすればなおのことで、そもそも自力でのリハビリを1時間近く続けて行うだけのスタミナはどこに残っているというのでしょう。もし本当にこの映画のようなことができるのなら、医学のリハビリ部門は無用ということになってしまいますね。恐らくこの映画の脚本を書いた人は自分がリハビリをするような体験をしたことがないのでしょう。

私が腰椎椎間板ヘルニアの手術でH総合病院に入院していたのは約2週間ほどでしたが、自立して歩くのに必要な脚の筋肉の衰えはひどく、誰か衰えた筋力を簡単に取り戻せる筋肉増強剤のようなものを開発してくれないかしら、スポーツでの筋肉増強剤の使用は違法かも知れないけれど、医療用ならば認められてしかるべきではないか、と本気で考えたりしたものです。

1.H総合病院でのリハビリの限界

H総合病院にもリハビリ部門があり、入院も後半になると、担当の先生からも経過は良好なのでリハビリをしっかりしてくださいと言われるようになりました。
しかし、この病院はリハビリ専門の病院ではないので、リハビリに割ける人員も時間も相当限られたものでした。リハビリ専門の担当者についてリハビリが受けられる時間は1日1回1時間程度でのみ。おまけに土・日・祝日はリハビリ部門はお休みなので、この間は自分の病室内でできる自主的なリハビリをするか、看護士さんに見守ってもらって病院内を歩行器でなどを使って歩く練習をするくらいしかできません。

私の場合、まだ歩行器を使って歩くのは筋力が衰えていてかなり難しいので、室内で病院で借りたゴム紐を使っての脚の筋力トレーニングなどをするのがせいぜいでした。ある時、部屋の中で足踏みの練習をしたことがありましたが、途中でバランスを崩して転倒し尻餅をついてしまい、その後のリハビリにも支障が出たことがありました。

そんなことがあってからは、そういった転倒のリスクのあることは病室内では怖くてできなくなり、病院のリハビリ以外にはゴム紐を使ったトレーニングをするくらいでしたが、どうにもモチベーションが上がらず、さっぱり効果はありませんでした。

リハビリ専門の担当者について受けたこの病院でのリハビリの内容ですが、畳を敷いた台の上にあお向けに寝て脚を寝かせたり起こしたりする運動や、自転車のような形状の脚力を鍛えるマシンで5分くらい続けてペダルをこいだり、歩行器を使ってリハビリ専用の室内を何周か歩くといった内容でした。

これを毎日できればまだいいのですが、連休が入ったりすると、3日くらいリハビリが受けられない日が続いたこともありましたし、担当者が不在で1日リハビリがない日もありました。やがて私の中に、次第にリハビリが進まないことへの焦りのような気持ちが日に日に大きくなって行きました。

そんなある日、看護士さんの一人から、「手術後の抜糸が済んだら、すぐにこの病院を出なければならないから、その後に行くリハビリ専門の病院を早目に決めておいた方がいいですよ」と言われました。それを聞いて、ついかっとなった私は、リハビリ担当の人に半ば八つ当たりで「この病院は抜糸したらさっさと患者を放り出すのですね」といった内容の暴言を口にしてしまいました。

私のリハビリ担当の人は背が高く、いつもとても優しく接してくれる男性でしたが、その人に向かってそんな暴言を口にしてしまうほど、その当時の私は精神的に追い詰められていたのでしょう。その人にそんな暴言を吐いてしまったことを今では大いに後悔しています。

2.転院先のリハビリ専門病院が決まる

「抜糸したらこの病院をすぐにも出なければならない」、この言葉に思わずかっとなった私でしたが、後で考えるとむしろこの言葉は退院後の受け入れ先が早く決まるきっかけになったと感謝すべきだったのでしょう。

父の知り合いでA病院というリハビリ専門の病院に入院したことがある人がおられたため、その病院への転院を交渉してもらった結果、連休明けの11月4日にその病院への転院が決まりました。10月22日に手術して約2週間目の転院となります。これでようやく本格的なリハビリが受けられ、歩けるようになる。それまでの鬱屈とした暗い気持ちが明るく晴れやかになったのを覚えています。

思えばこの病院では肉体的にも精神的にも苦しいことの方が多く、あまりいい思い出はありませんでしたが、それでも優しく接してくれた看護士さんや、リハビリ担当の優しい男性などいい思い出もわずかながらありました。

私はこの時まだ、リハビリ病院を1か月ほどで退院して、年賀状などの宛名印字などで忙しくなる12月には復帰できるのではないかという希望を持っていました。残念ながら脚の筋力の衰えは予想以上で、実際には手術後2か月目の12月22日まで入院生活が続くことになるのでした。

転院の前の数日は連休でリハビリもなく、これと言ってすることもなく、退屈な日々を過ごしました。入院中につけていた日記もこの前後が数日抜けていたり、これといったことは書かれていません。転院の前日に傷口の抜糸をしてもらい、これでようやく転院の最後の準備が整いました。

3.転院当日

連休明けの11月4日の朝9時過ぎ、A病院に転院しました。担当の先生やリハビリの親切な担当者にも挨拶する暇もなく、H総合病院を退院する手続き等を慌しく済ませると、A病院からの迎えの車に車椅子のまま乗せられてA病院へ向かいました。病院に着き、病室に案内された後、しばらくして担当のスタッフの方が私の病室に集まり、私の病状を確認し、翌日からのリハビリの方針が決められることになりました。

そのカンファレンスの最後の方に聞かれたのが、「自分がどうなりたいか」という入院の目標でした。私は迷わず「歩けるようになりたい」と答えました。翌日からいよいよ本格的なリハビリが始まることになりました。これはかなりきつそうだ、今夜よく眠れるだろうか、と不安もありましたが、ようやく歩けるようになる第1歩を踏み出せると思うと、期待の方が大きかったです。

終わりに

ここまで、A病院への転院までのお話でしたが、いかがでしたでしょうか。いよいよこれからがリハビリの入院生活の始まり、まだまだお話には続きがあります。残念ながら紙枚の都合で今回はここまで、続きはまたの機会にするとしましょう。拙い文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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